演劇でしか表現できない面白さを追及する劇団 絶対安全ピン

「one way」演出から

当分の間「中止」とか「延期」とかいう言葉は見たくない。はしか騒ぎは本当にいくつかの公演を中止に追い込んだらしい。我々はかろうじて本番を迎えることができたが、それでも少なからず影響を受けた。
「はしかで休講」。響きがのどかなだけに、いまいましい。

突然だが、「演劇」は人間の営みとして、何かが変である。
「生きるために不必要」などという話ではない。そんなのは演劇の専売特許でもない。
何が変かというと、「自然を作る」ことを目指しているからだ。
「自然な演技」という。「自然な展開」という。歌舞伎などは「自然な演技」に当てはまらないだろうが、「不自然」を目指しているわけではない。演劇にとって「不自然」は、悪だ。ということは「自然」を目指しているのと同じことだ、と考えるのが自然だ。
ところで「自然」は、ただ「ある」ものであって、「作れる」ものではない。「作った」らそれは「人工(アート)」である。どうやら演劇はアートですらない。
私は演出家なので役者に「自然な演技」を要求する。しかし「演技」をしたらそれは「自然」ではないので、「自然な演技」という言い方は言葉として意味を成さない。しょうがないから「今の演技、不自然です」と、クレームをつける言い方になる。稽古場の雰囲気が悪くなる。誰かなんとかしてくれ。「自然を作る」のがそもそも矛盾しているからだ。それでいてあくまでも目指すのは「自然」以外のものではない。

「はしか」による公演中止。それは病気という自然によって、演劇という「自然」が破壊されたということである。自然による自然破壊。なんなんだそれは。はしかと演劇は、「自然」つながりで、同類であるはずだ。「相手がちがうぞ」とクレームをつけたい。
自然が大事というなら、演劇も大事にしてほしい。エコロジストの皆様、スポンサーになる気はありませんか?

絶対安全ピン 黒田圭